八木書店古書部
八木朗さん
奈良時代の書物というだけでも襟元を正して向かい合わねばならない気持ちになるが、それが世界最古の印刷物となると、相対するときの緊張感は並大抵のものではない。しかし、神保町古書店街の重鎮・八木書店の八木朗さんは手袋をつけず、素手で古色豊かな塔から陀羅尼経を取り出した。
「私は手袋をつけません。事前に手を洗えば脂は落ちるし、指先の感覚も大切ですから」
かくして眼前に現れた経文は、驚くほど鮮明に印字が残っており、一文字一文字をはっきり確認することができた。奈良時代の日本人が持っていた技術にしばし驚嘆していると、八木さんが語り出した。
「木版か銅板かは判明しておりませんが、世界に誇る技術を持っていたのは確かです。また、この陀羅尼経は最古の印刷物というだけではなく、古本の原点だと私は思っています。ほら、表紙もあるしカバーもあるんですよ」
たしかに装丁というべき部分が明確にしつらえてあった。
「印刷物のはじまりが本屋のはじまりですから、これはまさに私たちのような書店にとって、その起源となるような貴重な逸品です」
では、それほど貴重な品がなぜ寺社や博物館ではなく、神保町の古書店にあるのだろうか。その答えは法隆寺にあり。明治後期、修復費用をまかなうために多額の寄付を募り、それに対する返礼として進呈されたのがきっかけになっているようだ。八木さんは語る。
「この百万塔には明治41年に法隆寺から贈られたという証文も付いています。このときに約3000基が下されたとのことでしたが、実際はもっと少なかったのではないでしょうか。そのうちのひとつが、巡り巡って私の手元に来たんですね」
日本中からさまざまな古書が集まる神保町。歴史に残る百万塔も、やはり来るべきところに来たということだろう。
ひとくちに百万塔陀羅尼経といっても、同じ経文が記されているわけではない。根本陀羅尼、相輪陀羅尼、自心印陀羅尼、六度陀羅尼の4種が存在し、その内容も異なる。ここに紹介しているのは自心印陀羅尼で、八木書店は何度か陀羅尼を扱っているが、六度陀羅尼だけは手にしたことがないという。
「現存しているほとんどの陀羅尼は残りの3種で、六度は本当に希少なんです。だから、これを扱うことが私の夢、いや、八木書店代々の夢ですね」
それでは、あらゆる出版物が集まる国会図書館にも所蔵されていないこの至宝をもし手に入れたら、はたして売ることができるのかという、少々意地の悪い質問をぶつけると、八木さんは微笑みながら答えた。
「苦労して手に入れたものを売らなければならない。それがこの職業に就いている者の最大の葛藤かもしれません。でも私は売るでしょうね。日本人が遺した書物という素晴らしい財産に、適正な価値を見出して次世代に伝えていく。それが古本屋の仕事ですから」
(文・ナビブライター 青木伸広)
八木書店の創業は1934(昭和9)年。上代から近現代までの国語・国文学を専門的に扱っている。3階では展示即売会を随時開催。神保町古書店街の中では、最も早くHPを立ち上げた古書店でもある。古書部のほか、人文系の新刊取次や学術書出版なども手がけている。
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