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    2012〜15年掲載

ピエール大場の官能小説「路地裏のよろめき」

ピエール大場著者プロフィール
神保町にある某会社の開発本部部長。長野県出身。かつて「神保町の種馬」と異名をとったほどのドン・ファン。女性を誘うときの最初の言葉は、「美味しいもの食べにいきましょう!デザート付きで」
『NISSAN あ、安部礼司』HP

第十二話『茶色の下に隠れているもの』

「自分のカラーがブレたら、やめるしかないね」
玲子さんは、言った。
山田玲子さんが着ているもの、つけているアクセサリーは全部、黒。
長い髪は金色のようにもオレンジ色にも見える。ロックな、いでたち。
古書店の若き店主、涼川小夜子にとって、玲子さんは、心から話せる同業者のひとりだ。

玲子さんがやっている古書店は、一風、変わっている。
『ブンケン・ロック・サイド』という赤い看板。
そこには「ロック アイドル サブ・カルチャー」と書いてある。
その言葉どおり、店内に一歩足を踏み入れれば、そこは迷宮。
80年代ロックが鳴り響く中、懐かしいサブカル雑誌のバックナンバーが並んでいる。
かと思うと、奥には、アイドルコーナー。
いや、右端の棚は、なんだか様子が違う。
そう、そこは、玲子さんの父親の棚。父から引き継ぎ、自分のカラーで勝負したが、
その棚は守り続けている。
詩集や短歌が並ぶ。

「で? なんかあったの?」
玲子さんが、小夜子に訊いた。
「どうしてわかるの?」
「小夜ちゃんが、ウチに来るときってさあ、必ず、男と出会ったか、
別れたいときなんだよね」

小夜子は、迷っていた。
これ以上、竹下とつき合っていても、先はない。
知らず知らず、彼の色に染まっていく自分がいる。
この間、目隠しをされ、手を縛られた。
抵抗できない。されるがまま。
彼の舵がどっちに切られるか、予測できない。
その不安、不定さが、小夜子を高みへと押し上げた。
「このままでは、離れられなくなる」
そう、思った。

「ねえ、見て、この漫画本。私ね、大好きだったんだよね、内田善美」
そう言って玲子さんが持ってきたのは、3冊の豪華本。
『星の時計のLiddell』。

「どういう内容なの?」
小夜子が尋ねる。
「う〜ん、ひとことでは難しいかな、でもね、見て、この絵の美しさ。
ストーリーもね、哲学的っていうか、宇宙的っていうか、とにかく幻想的で
妖しいのよ。好きでしょ? 小夜ちゃん、妖しいのは」

そこで小夜子は考える。
実は私は、優等生だった。実は私は、常識を重んじた。
でも、今、それを全て捨ててしまいたい衝動を抱えている。

「僕らは、さまざまに、どうしても、終点に近づいてしまう…。
あらゆる究極を希求してしまう。人間であるというそのことのためにね。
漠然とした終点にたどりついてしまう」

いきなり玲子さんが諳んじた。
『星の時計のLiddell』の一節。

「ねえ、小夜ちゃん」
「なに?」
「私はね、実家が古本屋さんだったこと、小さい頃、なんだか嫌だった。
古本って茶色のイメージだったし、なんだか黴臭い雰囲気だし。でもね、
自分でやってみて、わかった。古代エジプトの黄金の仮面はね、茶色い
土の下に埋まっているものなんだよね」

小夜子は、ひとつ気がついた。
私が求めているのは、竹下ではない。
私が求めているのは、私だ。
私がどのように乱れ、あえぐのか、それが観たいのだ。

「ああ、なんか急にドアーズが聴きたくなってきた」
玲子さんのそんな声を、小夜子は遠くで聞いていた。

Cafe HINATA-YA

ブンケン・ロック・サイド

住所
神田神保町2-3

ナビブラデータベース

『星の時計のLiddell』をめくる手

玲子さんが、初めて自分のおこづかいで買ったレコードは、 フィンガー5だ。『個人授業』。なんだか意味深なタイトル。 彼女は、いつも、思っていたという。 「自分の好きな色を出す」 大切な言葉だと思う。 妹さんと仲良く店内を動き回る様子は、微笑ましくて、 玲子さんの優しさがあふれている。