• グルメ部
    今柊二の「定食ホイホイ」
  • 読書部
    とみさわ昭仁の「古本“珍生”相談」
  • 文芸部
    ピエール大場の官能小説「路地裏のよろめき」
  • グルメ部
    高山夫妻の「おふたり処」
  • ジャズ部
    DJ大塚広子の「神保町JAZZ」
    2012〜15年掲載

ピエール大場の官能小説「路地裏のよろめき」

ピエール大場著者プロフィール
神保町にある某会社の開発本部部長。長野県出身。かつて「神保町の種馬」と異名をとったほどのドン・ファン。女性を誘うときの最初の言葉は、「美味しいもの食べにいきましょう!デザート付きで」
『NISSAN あ、安部礼司』HP

第弐十参話『小さいけれど、精巧な何か』

「豆本って、実は江戸時代からあったんですよ。
雛祭りの段飾りに、お道具箱があるでしょ?
その中にあった『雛本』がルーツだと言われています」。
日本で唯一の豆本専門店『呂古書房』の取締役社長の西尾浩子が、
女性客に説明をしている。
それを涼川小夜子は、ショーケースに並んだ精密な豆本を眺めながら聞いていた。
神保町は、さすがに本の街。他にはない面白いお店がたくさんある。
その中でも際立っているのが、この豆本のお店。
マッチ箱にも満たないほどの、それでいて、
精巧に印刷・装丁・製本された豆本が、
店内にびっしり並んでいる。
ひとつひとつが、優しく丁寧に作られている珠玉の作品。
それを愛おしそうに扱う西尾の横顔を見るのが、小夜子は好きだった。
「西尾さん、ほんとうに、豆本がお好きなのね」
小夜子が、宮尾登美子の豆本を手にすると、
「ああ、その表紙に貼ってあるのは、宮尾さんが実際に持ってらした
お着物を切ったものなのよ」

そう思ってみると、本に込められた思いが伝わってくる。
「豆本は、決して縮小版じゃないの。これ自体が芸術なんだと思う」
西尾さんの眼鏡の奥の瞳は、少女のように輝いていた。
「好きなものに囲まれているひとは幸せだ」
小夜子はそう思った。

「おまたせっす」
小夜子がお店に陳列されているこけしを見ているとき、
劇団員の準が店内に入ってきた。
ここで待ち合わせをしたのだ。
「ひやあ、可愛いスねえ、これ!」
金髪の髪をかきあげ、準が言った。心底、驚いているらしい。
小夜子は、準に、いろんな世界を知ってほしいと思った。
それはまるで、『マイフェアレディ』のヒギンズ教授の
心境のようだった。
この粗削りで何をしでかすかわからない若者を教育したい…。
教育を調教と間違えそうになって、焦る。

「この間のあなたのお芝居は、何かの縮小版のような演技だったわ」
そう小夜子が言うと、準は、キッとキツネのような眼で振り向いた。
「この豆本を見て。独自の芸術を極めているでしょう?
問題は、大きいとか小さいじゃないの、予算があるとかないとかでもない。極めたいと思っているかどうか、その覚悟なんだと思う。
あなたの演技は、ティッシュにもならない紙。
使えないし、飾れない」
キツイ言葉を言えばいうほど、下腹部がじーんと熱くなる。
自分のこんなSっ気があったとは…。

「オレ、帰ります」
バタバタと準が店を出た。
小夜子は、準を追う。

「待って」
すずらん通りでつかまえる。彼も本気で行こうとしたわけではない。
腕をつかむと、さらに体が熱くなった。
いますぐ、この腕でめちゃくちゃにしてほしい。
体中を弄ってほしい。言葉なしで、さっきの私を断罪するように、
虐めてほしい。
今度は小夜子に、Mの波がやってきた。
彼の髪をかきむしり悲鳴をあげる、乱れた自分を想像した。
「オレ…」
何も言わずに、小夜子は彼の手を取り、
「ごめんなさい」と言った。
若い汗の匂いがした。
「オレに、教えてください、いろんなこと」
春の風が、二人の傍らを通り過ぎていく。
「いろんなこと…」
小夜子がつぶやくと、準はいきなり小夜子を抱きしめた。
サラリーマンが、じろじろと眺めながら近づいては去っていく。
やがて、準の直截で性急な唇が、小夜子の口をこじあけた。

呂古書房

呂古書房

住所
神田神保町1-1 倉田ビル4F

 店舗HP

『呂古書房』取締役社長・西尾浩子さん

西尾さんのお父様は大学教授。いつも家には本があふれていた。 書斎の本の匂い。幼いときから、本に囲まれていると、 幸せだったそうだ。 そして今も、小さな本たちに、守られている西尾さん。 慈しみ、愛しているからこそ、思いがお客に伝わる。 「本の中にいる人生」は素晴らしい!