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    2012〜15年掲載

ピエール大場の官能小説「路地裏のよろめき」

ピエール大場著者プロフィール
神保町にある某会社の開発本部部長。長野県出身。かつて「神保町の種馬」と異名をとったほどのドン・ファン。女性を誘うときの最初の言葉は、「美味しいもの食べにいきましょう!デザート付きで」
『NISSAN あ、安部礼司』HP

第弐十七話『エックスであってNOではない』

「笑顔は、目じゃなく、口で表現するものなんです」。
サクラホテル神保町の宇井尚未は、言った。
サクラホテルは知る人ぞ知る、外国人の聖地。
世界各国のバックパッカーやビジネスマンが、宿泊する。
ドミトリー、すなわち格安素泊まりゲストハウスの考え方を、
日本でいち早く実践したホテルだ。
一階のカフェにいると、ここが神保町であることを忘れてしまう。
このところ、神保町の世界一の古書店街が観光地のひとつに加わり
サクラホテルの人気がさらに増している。

涼川小夜子は、サクラホテルのカフェにいた。
彼女はよくここでコーヒーを飲む。自分の古書店が近いこともあったが、
一杯のコーヒーで旅行気分を味わえるのが好きだった。
尚未は、外国人には日本人の目だけの笑顔が伝わりづらいと話した。
「ゲストは、たまに笑顔がわかりづらいっていいます。彼らは目より
口を大きく開けて笑うかどうかで判断するんです」。
尚未は、お父さんがイギリス人でお母さんが日本人。
世界中を回った経験が、今の仕事に生かされている。
「このホテルの、ゲストとスタッフのフレンドリーな関係が好きです」。

口角があがり、素敵な笑顔で言った。
「あ、あと、NOの表現に、日本人って胸の前でバツをするじゃないですか、こうして腕をクロスして。
あれって、外国人にはなんのことだか、わからないみたいです。
バツがあくまでエックスであって、NOではない」。
ここに来ると、日本人の常識が世界共通でないことがよくわかる。
「どうも、小夜子さん、こんにちは!」
もうひとり、奥のカウンターから近づいてきたのは、同じくスタッフの
立花麻衣だ。
彼女も美しい笑顔の持ち主。
「そういえば、ゆうべ、砂田先生が学生さんたちといらして、ここで
盛り上がったんですよ」。
小夜子は砂田の名前に反応しないように顔を引き締める。
「そう」。
「砂田先生、なんでも、しばらくロンドンにいらっしゃるそうですね。
そうそう、小夜子さんのことも言ってましたよ」
「私のこと?」
「ええ、しばらく会ってないから、会いたいなあって。先生、すっごく
酔ってましたけど。
小夜子さんに会いたいなあってずっと言ってました。子どもみたいに」。

小夜子の心に、甘い思いが沸き上がる。
初めて砂田に抱かれた夜のことを思い出した。
彼の部屋に入って、いきなり抱きしめられた。胸の前で腕をクロスする。
でもそれは、NOという意味ではなかった。
「バツはあくまでエックスであって、NOではない」。
彼は小柄だったけれど、腕の力は強かった。
口づけも情熱的だった。舌は患部を探す内視鏡のように動き、
ときに細く太く、
その仕様を変えた。葉巻の香りがした。
ロンドンにいく…。その前に会いたい…。
その言葉は、小夜子の頭の中で何度も繰り返された。
いますぐ砂田に会って抱かれたい。そんな衝動を抑えた。
もう、終わったことだ。そう思い込もうとしてる自分がいた。
男性は、ずるい。そうやって本人に耳に届くことを計算して他者越しに
愛をつぶやく。
直接連絡すればいいのに…。
でも、麻衣の口を通して言われることに胸の高鳴りを覚えていた。
矛盾だ。心は、いつも、矛盾だらけだ。
小夜子は、尚未と麻衣に向かって笑顔になろうとしたが、うまく笑顔は
つくれなかった。

「ああ、そうだ、小夜子さん、再来週、今度ウチのイベントで
皇居ランするんですが、
参加しませんか?砂田さんも参加するって言ってましたよ」。
尚未がそう誘ってきた。
小夜子は、たくさんの外国人に囲まれながら砂田と汗まみれになる
自分を想像する。
濡れていくTシャツ。激しくなる息遣い。
白日夢は、やがて舞台を歩道からベッドに移し、小夜子はシーツの波に
飲み込まれていった。

サクラカフェ 神保町

サクラカフェ 神保町

住所
神田神保町2-21-4
HP
ナビブラDB

サクラホテル神保町・宇井尚未さん、立花麻衣さん

宇井さんの好きな男性のタイプは、お相撲さん、 立花さんの好きな男性のタイプは、俳優の山田孝之だそうだ。 お二人とも魅力的な笑顔の持ち主で、そこにいる人をふわっと 包み込むあったかさを備えている。 いいホテルだなあと思えるのは、 お二人に代表されるスタッフのチカラかなと思うと、 「いいえ、ゲストのみなさんが、みんないいかたなんです!」 という答えが返ってきた。

ぜひ、読んでみてください!!
『サクラホテル浅草 体当たりおもてなし術』(講談社)