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    2012〜15年掲載

ピエール大場の官能小説「路地裏のよろめき」

ピエール大場著者プロフィール
神保町にある某会社の開発本部部長。長野県出身。かつて「神保町の種馬」と異名をとったほどのドン・ファン。女性を誘うときの最初の言葉は、「美味しいもの食べにいきましょう!デザート付きで」
『NISSAN あ、安部礼司』HP

第参十話『三つの線が同時にそこにあるとき』

「ねえ小夜子さん、知ってました? 聖橋の上から
丸の内線が見られるんですよ!トンネルからひょいって顔を出すんです。
もう、それ見るだけで、ぞくぞくします。
さらに、さらにですね、
そこに御茶ノ水駅で停車するJR中央線とJR総武線が
重なったりしたら、もう、大変ですよっ!」
眼鏡の向こうの綺麗な瞳をうるうるさせて話すのは、香代子。
彼女は御茶ノ水ソラシティにある『お茶ナビゲート』の受付をしている。
『お茶ナビゲート』はお茶の水界隈の地域活動や文化活動の拠点。
誰もが自由に入ることができて、地域情報を得ることができる。
特に素晴らしいのは、タッチパネルで検索すると、自分だけの
オリジナルお散歩マップが作れる端末が設置されているところ。
涼川小夜子は、ときどき、この場所を訪れる。
かつてこのイベントスペースで講演をしたことで、香代子と仲良くなった。
講演の内容は、『世界一の古書店街・神保町の魅力について』。
ひと前で話すのは苦手だったけれど、
世界に誇る古書店のステキなところをたくさんのひとに知って欲しかった。
ネットで本が買える時代だからこそ、本のぬくもり、触った質感、匂い、
重み、時間の流れを感じることができる古書を求めるひとが増えるのでは
ないかと、思っていた。
その日は、山の上ホテルでの会合の前に、香代子に会いにきた。

「相変わらず、地形と電車が好きなのね、香代子さんは」
「このあたりの地形は特に興味深いですよ。本郷まで続く山手台地。
駿河台から下は、平地だったんですね。家康公は上水を整備しました。
神田川も本来の流れを変え、洪水を防いだんです」
香代子は、地形の話が大好きだ。
そして、小夜子は、香代子が好きな話を語るのが大好きだった。
ひとは、好きなもの、好きなひとについて話すとき、独特のオーラを
まとう。
細胞が活性化して、頬は赤く染まり、手が汗ばむ。
それはまるで愛するひとに抱かれたときのよう。

小夜子が『お茶ナビゲート』の壁一面にある書棚の本の背表紙を
眺めていると、
「ああ、家弓さん、こんにちは!」
背後で香代子の声がした。
「来た」
小夜子は思った。
でも、すぐには、振り向かない。
「どうも、涼川さん」
倍音のしびれる声がする。この声をもっと聴いていたい、
小夜子は思う。
ゆっくり振りむくと、そこに彼がいた。
サクラホテル主催の皇居マラソンで小夜子を見かけたという、
長髪で長身の彼。

家弓琢磨。
この間、神保町のオシャレな雑貨店『FESTINA LENTE』で偶然、
会った。
でも、今日は偶然ではない。
小夜子が仕掛けたのだ。今日の日付とだいたいの時間を言い、
「私、きっと、『お茶ナビゲート』にいる」と。

果たして、彼は来た。

「どうも」
小夜子は、言った。
「お知り合いだったんですか、小夜子さん、家弓さんと!
やっぱり、顔、広いですね」
香代子は、屈託なく笑った。

家弓は、デザイナー。
神保町のシェアオフィス、ワーキングラウンジ
『エディトリー神保町』でスペースを借りている。

視線が絡み合う。
家弓は、髪をかきあげる。今日は束ねていない。
「香代子さんと小夜子さんが知り合いだったなんて、意外だな」
なんだろう、このひとの声は、と小夜子は思う。
今すぐ、耳元でささやいて欲しくなる。こんなふうに。
「なにを、してほしいの。言ってごらん」
聴こえるはずのない電車の音が聴こえた。
ひとつやってきて、二つ目が来て、やがて…三つの線が重なった。

お茶ナビゲート

『お茶ナビゲート』

住所
神田駿河台4-6 御茶ノ水ソラシティレストランフロア
HP
オフィシャル

地図を紡ぐ香代子さんの手

町田香代子さんは、長野のご出身 連想出版という素敵な名前の特定非営利活動法人に 所属している。
連想出版はすごい! 情報学の大家、理学博士の高野明彦教授のもと、 地域活性化のために活動している。
香代子さんは、ひとをふわっと包み込む笑顔と キラキラした瞳を持つ妖精のようなひと。 行けばきっと、 自分だけの散歩道を教えてくれるに違いない。