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    DJ大塚広子の「神保町JAZZ」
    2012〜15年掲載

ピエール大場の官能小説「路地裏のよろめき」

ピエール大場著者プロフィール
神保町にある某会社の開発本部部長。長野県出身。かつて「神保町の種馬」と異名をとったほどのドン・ファン。女性を誘うときの最初の言葉は、「美味しいもの食べにいきましょう!デザート付きで」
『NISSAN あ、安部礼司』HP

第参十弐話『無限大に響く、スピーカーのように』

「能力は、無限大なんですよ。要はそれをどうやって引き出すかって
ことなんです」
神田小川町にある、ジャズ喫茶『JAZZ OLYMPUS!』の店長、
小松誠は熱く語った。
「Olympusっていうスピーカーに教えられましたよ。
オレにはこんなに能力があるんだよってねえ、はははは。
運命的な出会いをしてこのスピーカーに出会って、脱サラして、
こうしてジャズが聴ける店をやってる。しかも、店名にしてしまった
くらい、こいつに惚れこんでる。こいつはねえ、すごいんですよ。
どんどん音がよくなるんです。毎日大音量で鳴らすことによるエイジング、そして建物との相性、セッティング、想像もつかない素晴らしい音を
響かせてくれます!」

涼川小夜子は、同じ古書店を営む仲間のジャズ好きな男性にこの店を
教えてもらった。
もっぱら訪れるのは夜のバータイムだが、ランチに食べる
赤いチキンカレーも絶品だ。10数種類のスパイスと岩手あべ鶏を使った
店長自慢の品。
昼間は、アルバイトの多賀麻里子に会えることも、小夜子には
楽しみだった。
「いらっしゃいませ、小夜子さん!」
麻里子の笑顔には、濁りも嘘もない。
かつて自分もこんな綺麗な瞳を持っていただろうかと自問する。
麻里子の佇まいは、いつも自然体。こちらも、ついつけていた鎧を
脱いでしまう。
北風と太陽の話を思い出す。
自然と旅人にコートを脱がせてしまう、あたたかい太陽の陽射し。
「麻里子ちゃん、学園祭、行けなくてごめんなさい」
小夜子は言った。
麻里子は女子大生。地理学を専攻している。
麻里子は坂が好きだという。坂は、曖昧な空間。どっちつかずの
不安定な場所で、日常ではなく、非日常。そこがいいのだという。
坂が多いこの界隈は、彼女にとって格好の場所なのだ。
彼女が地理に興味を持ったのは、高校の時の教科書に載っていた
一枚の写真だ。
そこに中国の桂林が写っていた。
「なんだろう、この不思議な造形は…」
まるで仙人が住んでいるような奇岩が織りなす風景。
屹立するタワーカルスト。
「世界には、私が知らない土地がある、それを見てみたい!」
ひとは土地に生き、その力を受ける。
彼女はグローバルな視点で、地理に向き合う。

「小夜子さん、今日は、お待ち合わせですか?」
「どうして、そう思うの?」
「なんだか、いつもと雰囲気が違うから」
小夜子は、麻里子に言い当てられて、恥ずかしいような嬉しいような
不思議な心持ちになった。
今夜、ここで琢磨に会う。
あの日、彼は、小夜子を誘わなかった。
きっと、そうなるであろうと思ったのに、あっさり「じゃあ」と
夜の闇に消えていった。
それが彼の策略なのか、あるいは、ただ単に興味がないのか。
いや、そんなことはない…。
逡巡した末に、小夜子は裏メニューを使うことにした。
「じゃあ、これから授業があるので!」
麻里子が店から出ていった。
外には、夕闇が迫っている。

JAZZ OLYMPUS!には、裏メニューがあった。
このお店は、昭和初期に創業された老舗のホテル「昇龍館」の
一階にあった。
小松店長と懇意にしているある客が「マスター、裏メニューを」というと
小松があらかじめチェックインしておいたルームキーを渡してくれるのだ。
夜のジャズバー。大音量の調べに心を響かせて、やがて体を震わせる。
「そっちが、来ないなら、こちらから、仕掛けてみる」
小夜子は、そう思った。

家弓琢磨がやってきた。
「素敵なお店ですね」
倍音が響く。
しばらく音楽に耳を傾けながら、バーボンを飲んだ。
「今夜の小夜子さん、とっても綺麗ですよ」
彼が耳元でささやく。
ぞくっとした。
小夜子は、マスターを呼んだ。
「裏メニューを」
小松は、軽くうなづいた。
小夜子は、思い出していた。小松がスピーカーについて語った言葉を。

「能力は、無限大なんですよ。要はそれをどうやって引き出すかって
ことなんです」

『JAZZ OLYMPUS!』

『JAZZ OLYMPUS!』

住所
神田小川町3-24 ホテル昇龍館1F
HP
ナビブラDB

『レコードを持つ、麻里子さんの手』

可愛らしい麻里子さんは、なんと!神保町を舞台にした人気ラジオドラマ『NISSAN あ、安部礼司』のファンだ。しかも、小学生のときから。あまりに安部礼司が好き過ぎて、神保町という街も好きになり、安部礼司の街で大学に通いたいと思い、今も神保町近くでバイトしている。(う〜ん、いい子だ)。ちなみに好きな男性のタイプは、神保町という街のような、どんなひとも受け入れる大人な感じのひとらしい。