• グルメ部
    今柊二の「定食ホイホイ」
  • 読書部
    とみさわ昭仁の「古本“珍生”相談」
  • 文芸部
    ピエール大場の官能小説「路地裏のよろめき」
  • グルメ部
    高山夫妻の「おふたり処」
  • ジャズ部
    DJ大塚広子の「神保町JAZZ」
    2012〜15年掲載

ピエール大場の官能小説「路地裏のよろめき」

ピエール大場著者プロフィール
神保町にある某会社の開発本部部長。長野県出身。かつて「神保町の種馬」と異名をとったほどのドン・ファン。女性を誘うときの最初の言葉は、「美味しいもの食べにいきましょう!デザート付きで」
『NISSAN あ、安部礼司』HP

第参十八話『自分の頭に、身を投げる』

「私が、落語がいいなあって思うのは、ありとあらゆる失敗談があって、
それなのに、明るくて、笑いがあって、ふわっと元気が
もらえるところです」
らくごカフェの渡邊友惟は、笑顔で言った。

神田古書センターの五階にある、らくごカフェ。
涼川小夜子は、いつしか、火曜日に開催される定例会には、
かなりの確率で参加するようになっていた。
友惟の飾らない雰囲気が好きですぐに友達になった。
彼女には、ひとを包み込む偽りのない優しさがある。
小夜子は、優しさの質には敏感だった。友惟の思いの底を覗き込む。
まるで落語のような包容力のある優しさが見えた。
らくごカフェの、らくご、が平仮名なのがいい。
敷居が低く、落語通でなくても、ふらっと入ってこられる。
店主の青木伸広の、落語をもっとたくさんのひとに知ってほしい
という愛が感じられる。

「小夜子さん、今日は、贔屓の『こみち』さん出るよ」
「そう、あ、でも、今日はちょっと用事があって…」
「そう。デート?」
「ううん、古書店の寄り合い」

小夜子は、「あたま山」という落語が好きだった。
けちな男が、さくらんぼを食べていて、もったいないから、と
種まで飲み込んでしまう。
種はお腹の中でぐんぐん育ち、やがて頭の上で芽を出し、
やがて大きな桜の樹になった。
花が咲くと、花見客が押し寄せる。頭の上でうるさいのなんの…。
男は桜の樹を引き抜いてしまう。
引き抜いたあとには、大きな穴が…。
男は用足しの帰りに、夕立に遭う。頭の上にあいた穴に水がたまり、
池になった。
そこに鮒や鯉やだぼはぜが棲みつき、今度は魚を釣りに朝から
ひとが押し寄せる。
挙句の果てに、舟まで出す輩もいる。うるさくてかなわない。
男は、とてもたまらないと…
自分の頭の池に自分で身を投げた…。

らくごカフェが開店する前に、入ってくる客があった。
リュックを背負ったガタイのいい白人だった。
日本語がわからないらしい。
「ここは、どんな音楽のライブをやる場所ですか?」
そう英語で訊いてきた。
小夜子は、片言で答える。
「ここは、ストーリーテリング、お話を聴かせる場所です」
白人の男性は、わかりやすく首をうなだれる。
「おお、そうですか、では日本語がわからないと、理解、できませんね」
とやはり英語で言った。
小夜子が「残念ながら」というと、出て行こうとする。
その後ろ姿がいやに寂し気で可愛かったので、小夜子は声をかけずに
いられなかった。
「よかったら、今晩、一緒に、聴きますか?私が傍にいて、
教えてあげます」

男性は、うれしそうに笑った。
「ほんとうですか?それはうれしい!明日、シドニーに帰るんです。
最後の夜は、日本の文化に触れたかった!」
大げさに、抱きつかれた。
汗の匂いがする。男というより、雄の体臭に包まれる。
「寄り合いを、サボることになる…」

小夜子は、思った。
こんなふうに私は…サクランボを飲み込む。
それがやがてお腹の中で育ち、やがて疎ましく思うようになるのが
わかっていて……飲み込んでしまう…。

白人は、ダニエルと名乗った。
大きな手で握手されただけで、小夜子の体に電流が走った。

「小夜子さん、『こみち』さん、聴くんですね」
「ええ、このダニエルと一緒に」

落語会が始まり、友惟が、演目をペラリとめくったとき、
小夜子の中の女がめくられ、彼女は、自分の池に身を投げた。



『らくごカフェ』

らくごカフェ

住所
神田神保町2-3 神田古書センター5F
HP
ナビブラDB

『演目をめくる、友惟さんの手』

友惟さんの笑顔は、美しい。
誰もが惹きこまれる深くて綺麗な瞳がこっちを見ている。
彼女目当てに、らくごカフェに通うお客様は多い。
女性のひとり客でも、友惟さんがいれば、安心。
落語のことを知らなくても、安心。
大学生のとき、初めて落語に連れていかれて、笑えなかった。
隣の友人を見ると笑っている。
そのときの経験が、友惟さんの根底にある。
「もっともっと多くのひとに落語の楽しさ、奥深さを知ってほしい」
思いは店主と同じだ。
友惟さんの好みの男性は、落語に出てきそうな、
おだやかで優しいひと、なんだそう。