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    2012〜15年掲載

ピエール大場の官能小説「路地裏のよろめき」

ピエール大場著者プロフィール
神保町にある某会社の開発本部部長。長野県出身。かつて「神保町の種馬」と異名をとったほどのドン・ファン。女性を誘うときの最初の言葉は、「美味しいもの食べにいきましょう!デザート付きで」
『NISSAN あ、安部礼司』HP

第四十話『鳥の目が、見ている…』

「鳥の目を持っていたんですよ…彼は!
100年以上も前のひとなのに…」

永森書店の永森優子は、感慨深い様子で話す。
綺麗な白い顔だなあと、涼川小夜子は、思う。
「小夜子さん、グーグルもドローンもない時代に、彼、
吉田初三郎は、鳥瞰図による観光案内を画いていたんです!」

永森書店は、共立女子大近くにある古書店。
日本全国の郷土史を主に扱っているが、お店で大人気なのが、
古い絵葉書や、戦前の鳥瞰図や古地図。
特に吉田初三郎の観光ガイドブックは、そのユニークなデザイン、緻密さ、
色使いに、誰もが感嘆の声をあげる。

「すごいね〜。これ、どうやって描いたんだろう…」
小夜子が、尋ねると、
「この時代、他にも鳥瞰図を画くひと、いたらしいんですけど、
吉田初三郎は、誰にも負けませんでした。なぜかっていうと、
ちゃんと自分の足で現地に行って調べたからです。
崖を登り、樹々を分け入り、海岸の砂に足をとられながら、
必死に情報を集めたんです。
彼の凄さは、自分で日本全国を歩き回り、観光地を開拓したところです。
あ、1914年に彼が手掛けた『京阪電車ご案内』、
修学旅行で京阪電車に乗られた皇太子時代の昭和天皇が、
その観光案内を見て、いたく感動されたんだそうです。
ね、凄くないですか?」
優子の瞳は、さらに熱を帯びてキラキラと光っていた。

「鳥の目を持つ男…」
小夜子は、つぶやくように言った。

昨晩、神保町の路地裏にあるバー『ボンヴィヴァン』に現れた男…。
それは、小夜子がかつて、猛烈に愛したひとだった。
舎利倉和人(とねくら・かずと)。
今頃、中米コスタリカで、蝶を追いかけていると思っていたのに…。

『ボンヴィヴァン』の悦子ママは勘のいいひとだから、小夜子の異変に
すぐに気がついた。
小夜子は、しばらく言葉を失った。まるで死者にでも逢ったかのように。

「驚いたな…」
和人の声は、昔のままだった。小夜子はそれを聴いただけで、
泣きそうになる。
「…お久しぶり、です」
やっと出た声は、まるで自分の声に聞こえなかった。
「いや、神保町だから、もしかしたら会えるかもって、思わなくも

なかったんだけどね」
和人は、ゆっくり噛みしめるように話した。

走馬灯…そう、記憶がコラージュする。
ぐるぐる回る。
抱きしめられた、キスした、ひどいことを言われた、泣いた、
笑った、はしゃいだ、転んだ、やっぱり…泣いた。

「蝶はね、鳥よりも、世界を知っているんだと僕は思う。
だからね、蝶を知ることは、世界を知ることなんだよ」

いつか、和人がそう言ったことを、瞬時に思い出した。

「小夜子さん、大丈夫?」
優子が心配そうに小夜子を覗き込む。
「あ、ああ、大丈夫。優子さんは、初三郎の鳥瞰図が、好きなんだね」
「まあ、そうですね。好きっていうか、もう、凄いっていうか。
外国から来たお客様が、このガイドブックを拡げて、ああ!っていうと、
なんだか自分が、日本が、褒められているようで、うれしくなるんです」

小夜子は思った。
「優子さんは、なんて素敵な女性なんだろう……ピュアで濁りがない。
旦那さんを世界でイチバン愛している。私は、彼女と、いったい、
何が違うんだろう…」

ガイドブックの鳥の目が、自分の心まで見透かしてしまいそうで、
小夜子は静かに鳥瞰図を、閉じた。



『永森書店』

永森書店

住所
一ツ橋2-6-12上村ビル1F
営業
15:00〜18:00
定休
日・祝

『絵葉書を持つ、優子さんの手』

優子さんは、ふわっと包んでくれる優しさを持ったひと。 どんな質問にも笑顔で答えてくれる。 満州国の資料を探しているおばあさんが お目当ての本に辿り着いて、泣いた。 そんなとき、 古書店をやっていてよかったと思うと話してくれた。 ここは、時代を越えるタイムマシーン。