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    2012〜15年掲載

ピエール大場の官能小説「路地裏のよろめき」

ピエール大場著者プロフィール
神保町にある某会社の開発本部部長。長野県出身。かつて「神保町の種馬」と異名をとったほどのドン・ファン。女性を誘うときの最初の言葉は、「美味しいもの食べにいきましょう!デザート付きで」
『NISSAN あ、安部礼司』HP

第四十七話『同じ場所で同じ風景をもう一度見ることは、できない』

「定点観測で街のさまざまな表情を見ていると、
より愛おしくなります」。
多賀麻里子が目を細めてそう言った。
『カフェ ティシャーニ』の店内は、打ち合わせをするビジネスマンで
混みあっていた。
奥の大きなテーブル。
水槽を背中に座る涼川小夜子は、麻里子の驚くほど綺麗な瞳に
見入っていた。
麻里子は、神保町すずらん通りで、定点観測をしている。
同じ場所から撮影し、ツイッターにあげる。
神田古本まつりの一日、舗道に街灯が滲む雨の夜、何気ない平日の昼間、
学生やOL、サラリーマン、行き交う自転車に、配達のワゴン……。
通りは、一度たりとも同じ顔を見せない。

「卒論で、最優秀賞を、もらったんだって?」
小夜子が尋ねる。
「はい」
「テーマは?」
「成熟した専門店街、神田・神保町における古書店を中心とした
来街者の回遊行動について、です」
「難しそう」
「いいえ、ただ、ひたすら街を見て気づいたことを論文にしただけです」
麻里子は、神保町を愛し、神保町近くの大学に入学し、
神保町でアルバイトをして、
神保町に社屋がある会社に就職が決まった。
全ては、『NISSAN あ、安部礼司』というラジオ番組から始まったと
彼女は言う。
たったひとつの番組が、誰かの人生を変えることがある。
放送は、送りっ放しでは、いけない。送ることの責任は、常にある。
「つまりは、神保町にやってくるひとは、どんな回遊行動を
とっているの?」
「専門店街には、いわゆるマニアのひとしか来ない、それでは
店は限られたひとのみの存在になってしまう。
限りなくアマチュアのひとを取り込まないと、
経営は難しくなってくるんです。でも、神保町の古書店には
そんな素人、一般大衆に興味を持ってもらう工夫がなされているんです」
「それは、なに?」
「ワゴン販売です。店先にある、掘り出し物。一冊100円の文庫本とか。
ふと足をとめ、手にとる。そこからお店の中に入っていくひとがいるんです」

小夜子は、昨夜の舎利倉和人との情事を思い出していた。
再会して、最初の夜は激しく燃えた。
何度も何度も頭が真っ白になり、大きな声が出た。
でも……いつか通った道に入り込む。
しょせん、昔の男=B
そんな思いが心にあふれる。
同じ風景をかつて一緒に見たことを思い出す。
でも、その風景は色あせて、見れば見るほど、輝きを失っていく。

「定点観測をしていて、同じ風景は二度と見られないことに
気づきました」
麻里子の言葉にハッとする。
(私は、何を求めているんだろう……)
和人への思いが湧き上がってくると同時に、もう二度と会うのは
やめようと思う。
「ねえ、麻里子ちゃん」
「なんですか、小夜子さん」
麻里子は、コーヒーカップを両手で包んだまま、小夜子を真っすぐ見る。
「違う風景を見るには、どうしたら、いい?」
「それは、簡単です。違う場所に行けばいいんです。ただ、」
「ただ?」
「同じ場所にいても、違う風景は見られるはずなんです。私は、それが
証明したくて、すずらん通りに立っています」
麻里子の澄んだ瞳と、柔らかな笑顔を見て、小夜子は、
癒されている自分を発見した。
自分はいったい何を見てきたんだろう。
触れ合ってきた男たちに、どんな表情を見てきたのだろう。

『ティシャーニ』の水槽で泳ぐ魚たちは、
ただ、無言でひたりと身をかわすだけだった。



すごろくや

カフェ ティシャーニ

住所
神田神保町2-3 英光ビル2F
営業
10:00〜19:00
定休
土・日・月
URL
ナビブラ神保町DB

『すずらん通りで、スマホで撮影する多賀麻里子さんの手』

麻里子さん、二度目の登場!
最近ではナビブラ神保町の名ライターとしても活躍している。
ただ、就職してどこに赴任するかわからず、
編集者・校條氏はアタマを抱える(笑)。
「こんなに素晴らしい人材にはなかなかお目にかかれない!」
イマドキ、ここまで素直で心が綺麗な女性はいるだろうか。
多賀麻里子さんのさらなるご活躍を祈る!
彼女が見る「まだ見たことのない風景」に幸あれ!