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    2012〜15年掲載

ピエール大場の官能小説「路地裏のよろめき」

ピエール大場著者プロフィール
神保町にある某会社の開発本部部長。長野県出身。かつて「神保町の種馬」と異名をとったほどのドン・ファン。女性を誘うときの最初の言葉は、「美味しいもの食べにいきましょう!デザート付きで」
『NISSAN あ、安部礼司』HP

第伍十二話『ダナンの龍が火を噴くとき』

「ベトナムの、ダナン、トテモ、イイトコ」
神保町の大人気居酒屋『酔の助』で働くベトナム人女性、
ヒエンが言った。
『酔の助』は、昭和54年に神保町で開店。
豊富なメニューが壁にびっしり貼られている。安くて美味しいおつまみと、
一山文明店長の気さくな人柄で、あっという間に、サラリーマンや学生の
心と胃袋をつかんだ。
涼川小夜子は、店の人気メニュー『ガンダーラ古代岩塩のピザ』を
注文した。
「あ、あと、ガツ炒めと、和風ガーリックポテトとカキフライ」
目の前の竹下が、黒縁眼鏡に手を当てながら壁のメニューを見て、
言った。
「私は、ハイボールを、おかわり。ちょっと濃いめにしてほしいな、
はははは」

砂田が、白い髭をポリポリかきながら、笑う。
注文をとりにきたヒエンさんは、砂田の申し出に少し、困った顔をする。
「ああ、うそうそ、フツウでいいよ、ごめんね」
ヒエンは、ベトナムのダナン出身。
日本に来て、4年ほどになる。日本語はまだうまく話せない。
「ヒエンちゃん、ダナンで、何がおすすめ?」
砂田が尋ねると、
「ハン川に、カカッタ、橋、ドラゴン・ブリッジ。
そこに、リュウ、います。大きな大きな、リュウ。それ、
火、噴きます、ぶわあって、火、噴きます」
ヒエンは、自分の口から火が出るようなジェスチャーを
見せた。
竹下が口の左側だけで笑った。

大学教授の砂田と、しゅっとしたサラリーマンの竹下。
小夜子は、このところ、二人と飲むようになった。
二人と、体の関係がある。
それを、この二人は知っているのだろう。
ときどき、砂田と竹下が仲良さそうに肩などを叩きあうのを見ていると、
自分だけ仲間外れにされたようで、さみしさを覚える。

昨日も、絹子と緊縛の会に顔を出した。
今回は、服の上からではなく、下着になって、縛られた。
やはり、恍惚の瞬間があった。
もっともっときつくしばってほしい……。
あの感情はどこからくるのだろう。締め上げられると、自分の中から
「常識」という名の鎧がボロボロと剥がれ落ちていく。
いま、ワンピースの自分の体には、無数の縄の痕が、ある。
それを今すぐ、砂田と竹下に見せたいような衝動がやってきた。
縛られて、宙に浮きあがり、自由を失った自分は、肉体というより、
ただの肉だった。
自由を奪われて、やがて自由を得る。
不思議だな、と思う。
恋愛も、基本、そうかもしれない。
互いに自由を奪い合うことで、
二人きりという自由さにどっぷりはまる。

「小夜子さん、なに、飲む?」
竹下に見つめられて、小夜子はドキッとする。
彼の視線は、いつも彼女を射抜く。
「ああ、生、で」
「ヒエンちゃん、生、ひとつ!」
砂田が大きな声で注文した。
「綺麗だね、小夜子さんは、
砂田が言う。
「ほんと、綺麗です」
竹下も、言う。

二人に見つめられた小夜子は、まるで、
火を噴くドラゴンのように、大きな息をもらした。



『酔の助』

『酔の助』

住所
神田神保町1-16-4
営業
16:00〜23:00(L.O.)
日・祝16:00〜22:30(L.O.)
定休
なし
URL
店舗twitter

『酔の助の豊富なメニューを指さすヒエンさん』

ヒエンさんの好きな男性のタイプは、とにかく、
優しいひと。「ニホンジンのひと、みんな、ヤサシイ」。
そう彼女が言うと、「そうだよなあ。オレも含めてなあ」
と一山店長は、笑った。
とにかく、『酔の助』は、混んでいる。
午後4時には、お客さんがやってくる。
「いらっしゃいませ〜」
ヒエンさんの元気な声が響く。