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    2012〜15年掲載

ピエール大場の官能小説「路地裏のよろめき」

ピエール大場著者プロフィール
神保町にある某会社の開発本部部長。長野県出身。かつて「神保町の種馬」と異名をとったほどのドン・ファン。女性を誘うときの最初の言葉は、「美味しいもの食べにいきましょう!デザート付きで」
『NISSAN あ、安部礼司』HP

第伍十六話『投げるひと、打つひと、それを見ているひと』

神保町は、野球と縁がある。
学士会館前にある、「日本野球発祥の地」という記念碑。
日本に野球を伝えたホーレス・ウィルソン氏の野球殿堂入りを記念して、
2003年に建立された。
この地には、かつて東京大学の前身である開成学校があり、
アメリカ人教師、ホーレスは生徒たちに野球を教えたのだ。

涼川小夜子は、スポーツ古書店『BIBLIO(ビブリオ)』にやってくると、
必ず、小野店主に、野球のことを聞く。
「タッチアップってなに?」
小野はニコニコしながら、丁寧に教えてくれる。
「野手がボールをキャッチするまで、走者は三塁ベースから足を
離してはいけないのね?」
相手の気持ちをちゃんと受け止めるまで動けない自分と
重なった。
自由奔放に見えて、実は小心者。
大胆なようで、小動物のようにいつも怯えている。

ここ『BIBLIO』は、小夜子がホッとできるお店。
その理由のひとつに、ここでバイトしている本多亜紀の存在があった。
亜紀は、小夜子にとって憧れの存在。
いつも凛としていて、ブレがなく、クレバーで美しい。
乱れた自分の生活をただす最良の方法は、彼女に会うことだった。

「小夜子さん、お久しぶりです」
亜紀は、“野球”とプリントされたトートバッグを持っている。
自身でデザインしたものだという。
「野球って、不思議なスポーツだと思いません?だって、攻めるほうと
守るほうが、交代で入れ替わるんですよ。たいていのスポーツって、
攻めながら守り、守りながら攻めるのに……」
そう言われて、小夜子は別のことを考えていた。
砂田に攻められ続けている。
ベッドの上で、ひたすら球を投げ込まれ、
自分はミットで受けるだけ。
以前のときと、違う。
大学教授で老齢な砂田に、こんなにも強い攻撃力があったとは
意外だった。
しかも、彼にはタッチアップは通用しない。
こちらがキャッチするまで、待ってくれないのだ。

「正岡子規って、キャッチャーだったんだってね」
亜紀が突然、言った。
子規は、野球が大好きだった。
雅号を自分の幼名、「のぼる」にちなんで、
「のぼーる」から「野球(の・ボール)」にしたくらいに。
そして、子規は、神保町も愛した。
彼のエッセイに、こんなくだりがある。
『一つ橋外の学校の寄宿舎に居る時に、
明日は三角術の試験だというので、ノートを広げて
サイン、アルファ、タン、スィータスィータと読んで居るけれど
少しも分らぬ。困って居ると友達が酒飲みに行かんかというから、
直に一処に飛び出した。いつも行く神保町の洋酒屋へ往って、
ラッキョを肴で正宗を飲んだ』。

ときどき、小夜子は亜紀に全部話したくなる。
自分の淫らな行いや考えを、洗いざらい、ぶちまけてみたくなる。
それでも、亜紀は許してくれるのではないか、
教会の牧師のように。

店内にビッシリ並んだスポーツ関連の古書たち。
そこには、数々の戦績があり、思い出があり、感動がある。
小夜子は、自分にとってイチバン忘れられない、心のスコアボードを
思い出してみた。
それは、コールドゲームの負け試合。
もっとゲームを続けたいと思った相手こそ、もう一度、相まみえたい。



古書『ビブリオ』

古書『ビブリオ』

住 所
神田神保町1-25叶ビル1F
営 業
11:00〜18:00
定 休
URL
お店のHP

『トートバッグを持つ、亜紀さん』

スポーツ全般・野球・オリンピック関連の
専門古書店、ビブリオ!
1998年に代々木で始まったこの店は、
2005年に神保町にやってきた。
本多亜紀さんは、この店で、HPを整えたりグッズを開発したりと大活躍。
ちなみに彼女の好きな男性のタイプは、
キツネ目の男性。
好きな本は、泉鏡花だそうです。