• グルメ部
    今柊二の「定食ホイホイ」
  • 読書部
    とみさわ昭仁の「古本“珍生”相談」
  • 文芸部
    ピエール大場の官能小説「路地裏のよろめき」
  • グルメ部
    高山夫妻の「おふたり処」
  • ジャズ部
    DJ大塚広子の「神保町JAZZ」
    2012〜15年掲載

ピエール大場の官能小説「路地裏のよろめき」

ピエール大場著者プロフィール
神保町にある某会社の開発本部部長。長野県出身。かつて「神保町の種馬」と異名をとったほどのドン・ファン。女性を誘うときの最初の言葉は、「美味しいもの食べにいきましょう!デザート付きで」
『NISSAN あ、安部礼司』HP

第六十参話『男坂と女坂の、あいだにある坂』

神保町に少しずつ、日常が戻りつつあった。
ビジネスマンがランチのテイクアウトに並び、
リュックを背負った老人が古本を物色している。
学生の姿も見るようになった。
気がつけば、夏服。
少女の白いブラウスが初夏の陽射しを跳ね返す。

(でも……)
と、涼川小夜子は、思う。
(まるで、ハリケーンが過ぎ去ったあとのよう……)
閉店したお店もいくつかある。
『酔の助』の店長、一山さんの笑顔が浮かんだ。
他にも、シャッターが開かないままの店があった。
『キッチン南海』本店は、6月26日に閉店するが、
暖簾分け店が、7月中にオープンすると聞いてホッとする。

そこに在ることはできても、
在り続けることは、難しい。
そんなメランコリックな気分のせいだろうか、
『ランチョン』で飲んだたった二杯のビールで
小夜子は、酔ってしまった……。

靖国通りに出ると、あたりは夕闇に包まれていた。
ふらふらと歩く。
錦華通りを駿河台のほうに進む。

錦華坂を過ぎて……気がつくと……
右手に男坂が見えた。
ふつう、男坂・女坂は、参道や登山道にある。
でも、神田駿河台の男坂・女坂の先には、
神社も山もない。

急で険しい、一直線の男坂。
踊り場が三つある、優しい女坂。
小夜子は、男坂を、のぼり、途中の石段に腰を下ろした。

ここで何人かの男と、キスをした。
煙草くさい、口づけ。
舌がなめくじのようにヌメヌメと入り込んでくる、口吸。
友だちから恋人に変わる、儀式のような、接吻。
髪の撫で方ひとつで、男の過去が垣間見えた。
遊んでいるひと、慣れていないひと、誠実なひと、愛情深いひと……。
深夜で誰もいないのをいいことに、
下腹部に手をのばすひともいた。
(男のひとは、どうして間違うのだろう……
触ってほしいときに躊躇し、触ってほしくないときに強引になる)

小夜子は、街の灯りを見ながら、思った。
(私は、きっと、男坂のほうが似合う。私の愛し方には、
踊り場がない。真っすぐ、キテほしいし、真っすぐ、イキたい)。
「あれ?」
頭の上から声がする。クリーミーでスパイシーな声。
見上げると、そこに、見城小太郎がいた。
「どうしたんですか? こんなところで」
彼は、男坂の階段を数段降りて、すとんと、
小夜子の隣に腰を下ろす。
ふわっと、オスの匂いがした。
ふくよかな唇。無精ひげ……。
がっしりとした体型、肩幅は広く、胸板は厚い。

「なんか、ちょっと、疲れてしまって、休んでいました」
小夜子が言うと、
「そうですか」
と、見城はそれ以上、聞かなかった。
優しい風が、二人の間を通り抜けて、いった。



男坂・女坂

男坂・女坂

住 所
(男坂)神田駿河台1丁目と猿楽町2丁目の間 (女坂)神田駿河台2丁目と猿楽町2丁目の間
URL
なし

『男坂・女坂』

聞くところによれば、
大日本ジェネラルの安部礼司という
ごくごく平均的なサラリーマンは、
この女坂で、倉橋優という女性に
愛の告白をしたという。
彼等は結婚し、二人の子どもを授かり、
今、幸せに暮らしている。
以来、ここは、隠れた聖地。
ここで愛の告白をすれば……恋は、叶う?