• グルメ部
    今柊二の「定食ホイホイ」
  • 読書部
    とみさわ昭仁の「古本“珍生”相談」
  • 文芸部
    ピエール大場の官能小説「路地裏のよろめき」
  • グルメ部
    高山夫妻の「おふたり処」
  • ジャズ部
    DJ大塚広子の「神保町JAZZ」
    2012〜15年掲載

ピエール大場の官能小説「路地裏のよろめき」

ピエール大場著者プロフィール
神保町にある某会社の開発本部部長。長野県出身。かつて「神保町の種馬」と異名をとったほどのドン・ファン。女性を誘うときの最初の言葉は、「美味しいもの食べにいきましょう!デザート付きで」
『NISSAN あ、安部礼司』HP

第六十四話『茹でたもの、蒸したもの、焼いたもの』

涼川小夜子にとって、
すずらん通りの、『スヰートポーヅ』の閉店は、
青天の霹靂だった。
「まさか……」

【お客様各位
閉店のお知らせ
長い間のご愛顧
誠にありがとうございました。
厚く御礼申し上げます
店主】

黒のサインペンで書かれた肉筆の文字は、少し右上がり。
簡潔なゆえに、さみしさが沁み渡る。

餃子の老舗中の老舗。
あのもちもちした食感の水餃子が懐かしい。
「中国・大連の味がする」
と大学教授の砂田は言った。
「大連にいらしたことが、あるんですか?」
と小夜子が尋ねると、
「いや、ない」
とキッパリ言った。
その言い方が可笑しくて、声を立てて笑ってしまったのが
昨日のことのように思い出される。

「餃子には、主に、三種類あるんだよ。
中国人が好む、茹でる餃子、すなわち、水餃子。日本人が好む焼く餃子、
コーテル、そしてもうひとつ、大勢の客人をもてなすのに適している
蒸す餃子、これは、チャオヅ。どれも出来立てを、酢醤油で、
はふはふ言いながら食べる……たまらんな」
砂田が口ひげを触る。

男の愛し方も、その三つかもしれない、と
小夜子は思う。
周りに優しさという名の熱湯を張り巡らし、
包み込むように茹でていく、男。
ベッドでも、決してすぐには秘部に近づかない。
こちらの肉汁があふれ出るまで、ただ茹でるだけ。

性急に火を通そうとするひとがいる。
焼く、男。
力まかせ、勢いまかせ。フライパンを何度もひっくり返すように、
さまざまな体位を試す。
油をじゃあじゃあ振りかけるように、汗が飛び散る。
表面は焼きあがっても、肝心の中身には、
火が通っていないことを、
彼等は知っているのだろうか。
そして……ひたすら、密着してくる、蒸す、男。
茹でる男との違いは、圧が半端ない。
体の圧、精神的な圧。束縛。
蒸されて気持ちがいいのは、面(つら)が厚い女だけ。

小夜子は、生唾を飲み込んだ。

砂田は、ひと晩に、その三種類を全部やってみせた。
飽くなき探究心は、小夜子を果てさせる。

すずらん通りが、急にさびしくなる。
いなくなる店……新しくできる店。
これが新陳代謝ということなのか……。

でも……
と小夜子は思う。
味覚は、永遠だ。
忘れない味は……決して……忘れない。

『スヰートポーヅ』の閉店

住 所
神田神保町1-13すずらん通り
URL
なし

『スヰートポーヅ』の閉店

『酔の助』、『キッチン南海』に続き、
『スヰートポーヅ』の閉店。
あまりに唐突な感じがして、
今頃、すごくさみしい。
もっと通っておけばよかったと、
なくなってから、思う。
もっともっと
すずらん通りに通おうと、思う。