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    2012〜15年掲載

ピエール大場の官能小説「路地裏のよろめき」

ピエール大場著者プロフィール
神保町にある某会社の開発本部部長。長野県出身。かつて「神保町の種馬」と異名をとったほどのドン・ファン。女性を誘うときの最初の言葉は、「美味しいもの食べにいきましょう!デザート付きで」
『NISSAN あ、安部礼司』HP

第六十七話『入れる、入れないは、問題ではない』

あの、噂は、本当だった……。
涼川小夜子は、夜も更けた神保町の路地裏で
立ちすくんだ。
そのドアから、泣いて目を腫らしたオジサン連中が
出てくる。
哀しそうに泣いているのではない。
逆だ。
むしろ、懺悔室で己の罪を洗いざらい吐き出した人間が
流す涙に近い。

「あっ!」
思わず、小夜子が声を出す。
ある出版社の社長、太田黒が出てきた。
でっぷり太った体型は相変わらず。
チャップリンのような、トレードマークの口ひげも健在だ。
あの口ひげの感触が蘇る……。
しつこく舐めまわす、異様に長くて厚い舌。
彼は脇の下が好きだった。
小夜子の脇の匂いをかぎ、いつまでも舐めていた……。
思い出して……脇がじっとり汗をかく……。

太田黒もまた……ハンカチで目を抑えている。
店を出て、ふっと、夜空を見上げる。
月はないが、その分、星が綺麗に見える。
「ふ〜」
と大きく息をついて、太田黒は去っていった。

小夜子は、そっと、そのドアに近づく。
小さく「リリパット」と書いてある。
『ガリバー旅行記』に出てくる、小人の国の名称だ。
そこは、靖国通りから一本入った裏通り。
神保町唯一のこどもの本専門店&カフェ『Book House Cafe』の、
ちょうど裏側。

『Book House Cafe』は、2017年5月5日にオープンした。
以前の名は『ブックハウス神保町』。
やはり絵本のみを扱う書店だった。現在は、カフェを併設。
全く新しく、生まれ変わった。
カレーパンが有名で、ビーフとチーズの特製カレーや
とろりチーズの焼きハヤシも絶品だ。
こどもの本を中心に1万冊の品ぞろえ。
こどもから大人まで楽しめる空間の仕掛け人こそ、
美貌と才能を併せ持つオーナーの今本義子。

小夜子は、大人の隠れ家「リリパット」のドアを開けた。

「ああ、いらっしゃい、小夜子さん」
義子が笑顔で迎えてくれた。
「いつ来てくれるのかって、待ってたのよ、小夜子さん。
さ、ここ、座って」
カウンターだけの小さなお店。
店内にユーミンの『卒業写真』がかかっている。
「オジサマ連中が泣いて出ていった」
小夜子がいきなり言うと、
「ああ、これ読んだの」
義子が手にしたのは、絵本『アマンディーナ』。
イタリアの絵本作家、セルジオ・ルッツィアの傑作だ。

「孤独な犬のアマンディーナはね、
自分で舞台をやろうって思って、演目を考え、練習に練習を重ね、
街のみんなを招待するの。でもね……結局、誰も来ない。
それでも、アマンディーナは、やるの、舞台を最後まで
やりきるの。お客さんを、入れるか、入れないかは、
どうでもいいことのなのよね。大切なのは、どれくらい準備して
どれくらいの覚悟があるかってこと……この絵本を
私がここで朗読すると、たいがいのオジサマたちは、
泣いちゃうの」

小夜子も、読んでもらった……。
泣いた……やっぱり、泣いた。
義子の朗読の素晴らしさ、声のトーン、そして美しさ。
小夜子は、潤んだ心を実感した。
義子は、言った。
「夜の書店、入ってみる?ナイトミュージアムみたいよ」

リリパット(Book House Cafe)

リリパット(Book House Cafe)

住 所
神田神保町2-5 北沢ビル1F
URL
店舗HP

リリパット(Book House Cafe)

義子さんの朗読は、セラピーだ。
彼女の語り口は、慈愛と救済に満ちている。
発想の源は、ネットにできないことをやる。
人と人が会える空間をつくる……。
店内で、お母さんが子どもに読み聞かせている場面に遭遇した。
涙が出そうになる。
優しい空間を演出し続ける義子さん、すごい!