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    2012〜15年掲載

ピエール大場の官能小説「路地裏のよろめき」

ピエール大場著者プロフィール
神保町にある某会社の開発本部部長。長野県出身。かつて「神保町の種馬」と異名をとったほどのドン・ファン。女性を誘うときの最初の言葉は、「美味しいもの食べにいきましょう!デザート付きで」
『NISSAN あ、安部礼司』HP

第七十九話『澱が拡がる〜スノードームのように』

「いま、とっても人気ですよ、オレンジワイン」
『カフェ・トロワバグ』店主の三輪徳子が言った。

目の前のワインボトル。
確かに白でも赤でもロゼでもなく、綺麗なオレンジ色だ。
ボトルを傾けてみると、さあっと、澱が浮かび上がる。
まるでスノードームのように……。
「この澱が、美味しさの秘密。あえて澱をこさないことで、
甘味や旨味が残り、ワインを引き立たせているんです。
オレンジワインは、白ブドウを使って赤ワインのように作ったワイン、
とでも言えばいいのかな。皮も一緒に発酵させるんです。
そう、赤ワインのようにタンニンを含むので、酸化防止剤を
控えることができて、よりナチュラルワインに近づく。
世界的に流行るのは、このナチュラル志向も、あるのかな」

涼川小夜子は、徳子の声に聞き惚れる。
(徳子さんの声は、なんて素敵なんだろう、
色艶があって、深と慈愛にあふれている……。
ワインのようにひとを酔わす、そして、トロワブレンドのように
何かを覚醒させてくれるように思う……)。
しっとりとした眼差しに見られると、女性である小夜子も、
きゅんと胸が熱くなる。
不思議なひとだ……。

カウンターの向こうの徳子は、変わらず、美しい。
小夜子は、久しぶりに店を訪れた。
珈琲を味わいながらも、徳子をじっと見てしまう。
「な〜に?小夜子さん、私をじっと見て。何か顔についてる?」
「ううん、見惚れてただけ」
「変な小夜子さん。小夜子さんこそ、どうしたの?
何かいいことあった?顔がキラキラしてるけど」

ただ、さっきまで男に抱かれていたからだ、と小夜子は思う。
たった一回きりの情事に身をゆだねると、
そのあとにやってくる、途方もない引き潮にすっかりやられてしまう。
足元の砂が、沖に向かって引いていく。
ものすごいチカラで。立っていられないほどに。
下腹部に残る名残が、憎らしく思えて……
少しずつ、損なわれ、少しずつ、澱が溜まっていく……。

そんなとき、なぜか小夜子は、会いたくなる。
三輪徳子に。
徳子の前で身も心も全裸になり、思い切り、
叱ってほしくなるのだ。
あの声で……。
「ダメじゃないの、小夜子さん、もっと自分を大切になさい!」

カウンターの上に置かれたいくつかのワインボトル。
そのひとつが、オレンジ色のワインだった。
澱が大事だというワイン……。

「徳子さん、私、どうしてこんなふうにしか生きられないのかな」
ポツリと小夜子が言う。
いつものように、流麗な動きと、美しい指使いで、
珈琲を煎れる徳子は、しばらくして、こう言った。
「私は好きよ、小夜子さん」

小夜子は、思わず泣いてしまう。
「ありがとう……」
トロワブレンドのいい香りがやってくる。
五感で味わいながら、小夜子は、思わず、
笑顔になった。
「小夜子さんが、笑った」
徳子も笑顔になり、二人で目を合わせた。
たった一杯の珈琲が、引き潮を、止めた。

BOOK SHOP無用之用

カフェ・トロワバグ

住 所
神田神保町1-12-1 富田ビルB1
URL
お店のHP

カフェ・トロワバグ

今年、創業45周年の
『カフェ・トロワバグ』。
最近は、オンラインショップも大好評!
定番のトロワブレンドの豆はもちろん、
可愛いトートバッグも大人気。
ちなみに、ハチミツ!さっそく購入した
「タスマニア産 オーガニックレザーウッドハニー」
最高に美味しいです!
レザーウッドとは、タスマニア島の
西海岸中心に生息する低木樹のこと。
果糖、ミネラル、ビタミンなどが豊富で、
抗菌作用、免疫力向上にも優れているんだそうです。
久しぶりの三輪さん、
変わらぬ美しさの秘訣をじっくり聞きたかったです!