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    2012〜15年掲載

ピエール大場の官能小説「路地裏のよろめき」

ピエール大場著者プロフィール
神保町にある某会社の開発本部部長。長野県出身。かつて「神保町の種馬」と異名をとったほどのドン・ファン。女性を誘うときの最初の言葉は、「美味しいもの食べにいきましょう!デザート付きで」
『NISSAN あ、安部礼司』HP

第八十八話『沈み始めるまで、5秒以内』(ワイン食堂 ChatGatto)

「お待たせしました、小夜子さん、
愛媛今治野菜のペペロンチーノです」

鈴が鳴るような綺麗な声で、店主の薄田宜子が言った。
涼川小夜子は、少し酔っていた。
美味しいワインが、体中に沁みわたっていく……。

ここは、神保町、白山通りから一本路地に入った場所にある、
『ワイン食堂 ChatGatto(シャガット)』。
自然派ワイン、ヴァンナチュールと愛媛食材の店だ。
Chatは、フランス語で猫。Gattoもイタリア語で猫。
すなわち、『猫猫』。
店名の通り、フランス料理の料理人、宜子と、
イタリア料理の料理人、夫の貴志が、フレンチとイタリアンを
猫のように自由にのびのびと行き来して、ここでしか味わえない逸品を
提供してくれる。
野菜や魚・地鶏やブランド豚などのほとんどは、
貴志が生まれ育った愛媛・今治市からの直送。
料理にピッタリ寄り添う、クラフトビールや自然派ワインが
唯一無二のマリアージュを約束してくれる。

小夜子は、ワインや料理だけでなく、
このお店を切り盛りする夫婦に会いたくてやってくる。
宜子は、いつも凜としていて、ピュア。
嘘がなく、びっくりするくらい濁りがない。
濁りと汚れにまみれた小夜子にも、いつも変わらず接してくれる。
貴志は、誰もが認めるイケメン。
柔和な笑顔。誰をもふわっと包み込むような空気感をまとっている。
そんな二人が作る料理は、とにかく心と体を元気にしてくれる。

「ゆうべも、5秒で恋に落ちたの」
カウンターに座る小夜子が、厨房の宜子に話した。
「そう。どんなひと?」
宜子は、鹿肉を焼きながら尋ねる。
「ウチのお店に古書を買いにきた、バルセロナの男性。
日本の文化、伝統に興味があるって……」

小夜子は、言いながら、思う。
シャガットの料理は、イタリア、ギリシャ、スペインの、
地中海料理に似ている。
野菜や果物を、新鮮な魚をふんだんに使い、ワインを楽しみながら食べる。
さながら瀬戸内海は地中海で、今治は、イタリアかスペインか。

「今治タオルの品質基準、知ってますか?」
宜子が尋ねる。
「え?」
「品質基準のひとつに、タオル片が水中に沈み始めるまでに要する時間が」
「うん」
「5秒以内、というのがあるそうです」
「5秒、以内」
「洗わなくても使い始めから水を吸うタオル、すぐ沈むってことですね。
小夜子さんは、今治タオルみたい」
「え?」
「5秒で沈んじゃうから」

ついでに私は濡れるのも5秒以内……
と小夜子は思ったけれど、
それは言わないでおいた。

お店に、背の高い外国人が入ってきた。
小夜子が恋に落ちた、スペイン人だった。
「来てくれたんだね」
小夜子が日本語で言うと、
彼は、にっこり笑って、
「コノお店、イイニオイ、シマス、ナツカシイ」と言った。

ワイン食堂 ChatGatto(シャガット)

ワイン食堂 ChatGatto(シャガット)

URL
お店のHP

ワイン食堂 ChatGatto、クラフトビールのメニューを
持つ薄田宜子(すすきだ・やすこ)さん

シャガットでは、群馬県高崎市シンキチ醸造所の
クラフトビールを出している。
ネーミングが面白い。
「危険なふたり」「長屋」「コサック」「柚子のばかたれ」……
常連さんは、まず、シンキチ醸造所のクラフトビールを一杯目に
頼むのが定番らしい。
料理とマッチするビール!
それにしても、宜子さんは、素敵なひと。
封建的なムードが強く残ってきた料理の世界にあって、
女性が独り立ちするための苦労は想像に難くない。
芯の強さとしなやかさと美しさ。
それが同時に存在している稀有なひとだ。
ちなみに好きな男性のタイプは、
「気の強い私でも対等に受け止めてくれるひと」。
厨房で、貴志さんが、ふわっと笑った。