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    2012〜15年掲載

ピエール大場の官能小説「路地裏のよろめき」

ピエール大場著者プロフィール
神保町にある某会社の開発本部部長。長野県出身。かつて「神保町の種馬」と異名をとったほどのドン・ファン。女性を誘うときの最初の言葉は、「美味しいもの食べにいきましょう!デザート付きで」
『NISSAN あ、安部礼司』HP

第百八話『さくらが、濡れるとき』

通夜の夜は、雨だった。
冷たい、雨。
もうすぐ春だというのに……。

涼川小夜子は、喪服に身を包み、黒い傘をさして
お焼香の列に並んだ。

かつて懇意にしていた、
大学教授の砂田が、亡くなった。
急性心不全。旅先で倒れたと人づてに聞いた。
雨の音を聴きながら、思い出す。

砂田は情事のあと、必ず、
小夜子の胸を撫でながら「イルカのメロンが話してる」と
言った。
「イルカの頭には、メロン体という特殊な脂肪がつまった
器官があってね、音を反響させたり放射したりして、
なんだかね……ふふふ、面白いんだ、イルカがね、
しゃべってるみたいなんだ」
思い出し笑いをする砂田の顔は、動物好きの少年の
ようだった。

彼の攻め方は、独特だった。
彼が好きな野球にたとえれば……。

ゆっくりゆっくり、女性のリズムに合わせ、
あくまで守りに徹する時間を持ち、
攻めるときも、強振せず、コツコツとバットにあて、
相手の球種を読む。
三巡目あたりから、思い切り、振る。
振るときは、容赦しない。
決め球を投げ込むときも、力いっぱい、ミットをめがける。

どんなに、「もう参りました、堪忍してください」と言っても、
止めない。
続ける。打ちまくり、投げまくる。

口ひげをなでるしぐさが好きだった……。

遺影は、紺色のジャケットを着ている砂田。
「ピンバッジ……あれは、イルカのピンバッジ、
私があげたものだ……」
小夜子は思う。

神保町の自宅玄関で、傘を閉じると、
桜の花びらが、ひとつ、くっついていた。
まるで砂田が、名残惜しくて、後をつけてきたようだった。

ふいに小夜子は、泣いた。
家人に気づかれないように、声を押し殺して。
なぜ、泣くのだろう……
多くの男性のうちのひとり、なのに……。

花びらを、つまむ。
やわらかい、花びら。
そこには、命の名残りがあった。

もう会うことはないんだ……。
そう思ったら、また泣けてきた。

「今気づくなんて、遅すぎる。
私は、砂田を愛していたんだ」。
小夜子は、花びらを、いつまでも撫で続けた。

路地裏のよろめき

神保町の路地裏

『「路地裏のよろめき」を書く、ピエール大場の手』

ご愛読いただいたみなさま、
9年間、ありがとうございました。
108話。
煩悩の数で、締めることができて、
本望です。

ずっと見守ってくださった
ナビブラ神保町の校條さん、お世話になりました。

神保町の路地裏に、
夜な夜な出現しております。
偶然、お会いしたら、口説いてしまうかもしれません。
では、また

ピエール大場