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    2012〜15年掲載

3月のお悩み

 オレはプロのライターなのに、先輩風を吹かせた編集者が「このフルチンの相談を(タダで)書け!」と言ってきてほとほと困っています。オレはプロなんですよ。いくらフルチンでも、タダってことはないでしょう!

(40歳/ライター)


『ムダな努力は馬鹿がやる』
 佐藤忠志

(1991年/スコラ)

利害得失をわきまえたうえで
相手のことを考えて行動しよう

  タダで相談を書けだって!? なんてひどい編集者なんだ!…と、一緒になって怒ってさしあげたいところだけど、あいにくフルチンは予算が少ないので、タダで相談を書いていただくしかないのね。そのかわり、こちらも相談者さんから相談料などをいただくことなく、無料でお答えしている。つまりお互い様なのよ、わっはっは。

  ライターと編集者、下請けとクライアント、あるいは上司と部下。人付き合いにはいろいろあるが、とくに仕事上での付き合いはむずかしいものだね。そこには本音と建前があり、うまく使い分けられればいいが、ちょっと失敗するとトラブルに発展する。

   金ピカ先生として知られる塾講師の佐藤忠志さんは、著書『ムダな努力は馬鹿がやる』の中で、人間心理の基準になるのは「利害得失」であると説いている。

  忙しいからと仕事を断ると、法外な金が掲示される。すると、さっきまでの忙しいのはどこへやらで、他の仕事を断ってでも、そっちへ行く。利害得失の関係というのはこんなものだ。これを全面的に押し出すと「俺は金で動いているんじゃねえ」という人も出てくるし、実際金で動くにしても、人間だから、体面もある。プライドもある。
  利害得失をわきまえた上で相手のことを考える、つまり"自分がしてもらいたいように人に行え"というのはそういうことなのだ。
  女を口説こうと思って、最初からホテルの部屋をとってあって「部屋をとってあるんだ」といったら相手が好きな女の子でも「私のことそんな淫乱だと思っているの」となる。それを部屋をとっていても、「部屋があいてるかどうか聞いてくる」といえば、女の子のプライドも傷つかないし、部屋があいててラッキーってなことになる。

(P142より)

  その編集者は、相談者さんのことを考えてあえて「相談を(タダで)書け」と言ったという可能性はないだろうか。

  わたしはこれまで、原稿料の多寡で仕事を引き受けるかどうかを決めたことはない。その仕事がおもしろい結果につながりそうだと思えれば、たとえギャラが安くても(あるいはタダでも)、引き受ける。これは自分を安売りするのとは違うんだよ。

  そしてよく考えてみよう。相談者さんは、結局このページに相談を寄せてくださった。それは、たとえ見返りがなくともここへ相談を寄せることに何らかの意義を感じてくださったからだ。わたしはそう信じたい。

鼻先のニンジンをあきらめ
空気のうまさを知る

  次にもう1冊紹介する。この本の著者が、三十代のお坊さんとお茶を飲んでいたときのこと。話の流れの中でお坊さんは「足るを知る」という言葉を口にした。「足るを知る」とは何か?



『男の終い仕度』
 安藤昇

(2012年/青志社)


  「満足することを知っている者は、貧しくても幸せであり、満足することを知らない者は、たとえ金持ちでも不幸であるということですね。ある年齢に達したら、いたずらに欲を追うのではなく、いま手にしている幸せに気づけということでしょうか」
  若いくせにわかったようなことを言うので、俺はいたずら心からこう問いかけてみた。 「じゃ、足るを知るにはどうすればいいんだい?」
  若い坊さんは返答に詰まったね。そりゃ、そうだろう。人生経験も浅く、耳学問で理屈を振りまわすだけの若い坊さんには無理だ。
  そこで、俺はこう言ってやった。
  「刑務所へ四、五年ほど入ってみりゃ、身にしみてわかるよ」
  坊さん、目を剥いて唸っていた。

(P114より)

  俳優にして元安藤組の組長、安藤昇氏の『男の終い仕度』からの一節だ。引用した部分のあとには、さらにこう続く。

  実際、懲役へ行ってみりゃ、娑婆がいかに天国だったか思い知らされる。前橋刑務所では、仮釈をもらうまでの六年間、独居房にいた。(中略)仮釈になって娑婆にもどったとき、空気って。こんなにおいしいものかと思ったものだ。
(P115より)

  非常に説得力のある言葉である。タダの空気がこんなにもおいしい。これが足るを知るということだ。「贅沢は好きだが、鼻先のニンジンを追うようなことはしない」という安藤親分、名言連発なのでもう少し引用しよう。

  諦観である。
  鼻先のニンジンを追っていた自分に気づき、走るのをやめればいいのだ。すると、気持ちはうんと楽になってくることだろう。 「それができないから苦しいんじゃないですか」
  と、きいたふうな口をきかないでもらいたい。楽になりたきゃ、自分で自分をねじ伏せるしかないのだ。

(P116より)

  無理して刑務所にまで入る必要はないけれど、鼻先のニンジンをあきらめる。そうすることで、人はずっと楽になれるし、先輩風を吹かす編集者に困らされることもないのだ。

次回もお楽しみに!

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